あなたが現在見ているのは 0(ゼロ)という私の出口戦略:(エッセイ第3話)

0(ゼロ)という私の出口戦略:(エッセイ第3話)

 カレンダーが、三月十日という日付を刻んでいる。

 私の前には、「0」がある。

 ただ、それだけが、そこにある。

​ 周囲の連中は、獲物を仕留めた獣のように、歓喜の声を上げている。

 その熱気が、鼓膜を叩く。

 だが、私だけが、違う。

 私だけが、深い水底に取り残されたような、しんとした静寂の中にいた。

​ 気分は沈んでいる。泥のように、重い。

 コーチだ、マーケターだと看板を掲げてはいても、私は一人の男だ。

 他人と比べ、己の低さに、心の芯が冷えていくのを止められない。

 

 この仕事を始めて、十ヶ月。

 この「凪」は、六度目だ。

 だが、慣れることはない。不快だ。

 いや、この不快さこそが、今の私を繋ぎ止めている「呪(しゅ)」なのかもしれない。

​ 今の私には、武器がある。

 絶望の底に打ち込んだ、複数の「出口戦略」だ。

​ 一つ。

 「この場所を、いつでも焼き捨てていい」と断じること。

 執着は、目を曇らせる。

 この一つの椅子に、己の全存在を懸けるなど、片腹痛い。

 「いつでも手放せる」と悟ったとき、私を縛る鎖は、音を立てて砕け散る。

​ 二つ。

 「別の戦場」で、牙を研ぐこと。

 私には、ここ以外のフィールドがある。コーチング、あるいは、まだ見ぬプロジェクト。

 一つの門が閉ざされていても、懐(ふところ)には、別の門を開くための、鋭い鍵を隠し持っている。

​ そして、三つ。

 「土壇場の、泥臭い自分」を招喚すること。

 暗闇の中で、最後には帳尻を合わせてきた、過去の残像。

 論理ではない。「理屈を超えた、剥き出しの生存本能」だけが、最後の一歩を支える。

​ 出口を想定することは、逃げではない。

 むしろ、それは。

 この袋小路の中で、返り血を浴びながらも、冷徹に微笑み続けるための「心の安全装置」なのだ。

​ 最悪の闇を、あらかじめ飲み干してしまったとき。

 心は、奇妙なほどに透明になり、軽くなる。

​ 「さて、やるか」

​ 私は、静かに息を吐いた。

 0という名の空虚を、次の一撃で、鮮やかに染め上げるために。

 私は、再びシステムへと手を伸ばした。

聖孝(セイコウ)

​聖孝(セイコウ): ​武道の精神を背景に、精神の「自立」を追求するマネジメント・コーチ。 恐怖心からくる不自然な所作(ペコペコとした態度)を捨て、内なる声である**「自神(じしん)」**を何よりも重んじる生き方を自ら体現、推奨している。 現在、現場での実戦を経て「認知のマネジメント」の手法を体系化中。2026年7月より、少数精鋭の個人セッションを開始する。本気で自らの人生を統治したい人は、それまでこのブログで「自神」と向き合う準備を整えておいてほしい。