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『秒刻みの狂気と、喉元に沈める「三分の残心」』 (エッセイ第4話)


 コールが、鳴る。
 受話器を置く。刹那、次の番号が叩き込まれる。
 指先が、網膜が、秒を削る狂気に支配されていく。あるテレアポ現場。そこは、絶え間なく竹刀が交差する、逃げ場のない立ち合いの場だ。
 「もしもし」
 発声。喉の奥から、訓練された「声」を放つ。
 相手の呼吸を読み、間合いを詰め、言葉という太刀を振るう。
 一分一秒の淀みも許されない。普通ならば、心は摩耗し、やがて砂のように崩れ去るだろう。
 だが。
 私は、そこにいない。
 否、正確には、私の「すべて」をそこには投げ出さない。
 激しく火花を散らす立ち合いの最中、私の内面には、ぞっとするような「静寂」が澱のように沈んでいる。
 意識の三分の二は、目の前の標的(ターゲット)に向けられている。しかし、残りの三分の一。
 このわずかな「余白」を、私はあえて「ボケー」とさせておく。
 
 武道でいうところの『残心』だ。
 打突の後、剣先を下げず、意識を途切れさせぬ構え。だが、私のそれは少々、性質(タチ)が悪い。
 現場の濁流に即応しながら、脳の片隅では、全く別の景色を見据えている。
 
 統計学の正規分布。心理学のエビデンス。あるいは、数年後に我が子と歩くであろう、湿り気を帯びた異国の風。
 脳をアイドリング状態(デフォルト・モード・ネットワーク)に置き、意識の主導権を現場という「化け物」に、決して渡さない。
 「なぜ、あなたはそんなに淡々と、狂気の中にいられるのか?」
 
 同僚の視線が、時折、私の背中に刺さる。
 私は答えない。ただ、喉元に沈めた「三分の一の空白」を、静かに、深く、噛み締めるだけだ。
 人は、完結したものに満足し、去っていく。
 だが、この「ボケー」とした余白の先に何があるのか。私が何を見つめ、どこへ向かおうとしているのか。
 
 その答えは、まだ——。

聖孝(セイコウ)

​聖孝(セイコウ): ​武道の精神を背景に、精神の「自立」を追求するマネジメント・コーチ。 恐怖心からくる不自然な所作(ペコペコとした態度)を捨て、内なる声である**「自神(じしん)」**を何よりも重んじる生き方を自ら体現、推奨している。 現在、現場での実戦を経て「認知のマネジメント」の手法を体系化中。2026年7月より、少数精鋭の個人セッションを開始する。本気で自らの人生を統治したい人は、それまでこのブログで「自神」と向き合う準備を整えておいてほしい。